9年ぶり、7回目の利尻。

テレマークスキーを始めて暫くした頃、「いつかは!利尻!」が、合い言葉だった。
シーカヤックでは「知床」、テレマークでは「利尻」。大げさではあるが、共に「聖地」みたいに崇めていた。
 そんな想いが叶ったのは、テレーマークを始めて10年ほど経った1998年5月。始めた当初は「革靴+細板」だったのが、この頃には、初代のスカルパ-T-1にカービングスキーという道具になっていたし、技術的にもなんとか滑れるだろうと、勇んでで出かけたわけだ。しかし、その年は十勝や大雪山系も雪が少なかった。下調べもしないまま何の根拠もなく「利尻なら雪があるだろう」という想いだけでフェリーに乗ったのだが、島に近づくにつれ、山が黒いのだ。案の定、北麓キャンプ場についてみると、辺りは笹だらけ、降りて来る登山者は「夏靴」という出で立ち。仕方なく、スキーを笹の中にさして笹の中にテントを張り、、、翌日、諦めと初めての山への執念の折り混ざる中、雪のない利尻岳(長官から上は雪で、アイゼンも履いたが)を、T-1でピークまで登ったのだ。長官山のコルに出て初めて見ることができる、利尻本峰。その神々しさはまさに「筆舌に尽くし難い」。その場からみた者にしか解らない凄まじい圧倒感で「この山を登ってしまってよいのだろうか?」とさえ感じたものだった。
 翌1999年、意を決し再挑戦し、ピークからの滑走を成功させ、また、その夏には、Mix(今は亡き愛犬)をつれ、家族全員でまたピークを踏んだ。その翌々2001年5月、長女のアイちゃんが高校3年で一緒にピークを踏み再度ピークより滑走。その後のGWのツアーは羅臼や旭岳にシフトされていたのだが、2005年、次女のユウちゃんが高1でまたも挑戦、長官手前での強風で断念した。そして、2007年に再度挑戦してピークからの滑走に成功。この時期の利尻を5回、夏に1度、計6度の「利尻」だったが、その後利尻からは離れていた。

 半ば、もう利尻は体力的にも無理だと決め込んでいたし、クラブの仲間たちからも「利尻」という言葉は出て来ていなかった。ただ、昨年辺りから、パウダー目的だけのテレマークではなく、「山全体を楽しむツアー」に心が戻って来て、アイゼン&ピッケルを携行しての複合的な「ピークハント」であったり、夏の「Sea to summit」に参加したりする中で、もう一度クラブのみんなで「利尻」を目指しても良いのではないだろうか?と思うようになっていた。そんな中、FBでの今年のGWのツアーの予定を聞くコメントをみた時、「利尻ツアーを提案してみようかな?」と思ったわけで、三段山クラブ代表のオオニシくんに相談すると、こころよく快諾してもらい、行けるメンバーを募ったという、ちょっと長〜い前置きだったわけだ。
 今回は残念ながら、アタック予定日の天候が悪く、計画を半日前倒しにしてツアーを決行したが、強風と時間切れで本峰登頂はならなかった。同時にピークからの滑走も以降に持ち越されたわけだが、その分、今回参加したメンバーや次回以降に参加を希望するメンバーの想いも熱くぶ厚くなってゆくと思うので、今回の利尻ツアーは「成功」だったと思う。参加してくれたメンバー、自宅で見守ってくれたメンバー、本当にありがとう。来年以降、ぜひ皆さんも挑戦してほしいと願ってます。

2016.5.6 papasdesign-たなかさだふみ

photo-参加した皆さんの写真を混ぜこぜで使わせて頂いています。